またすぐ会える気する
一週間前から書き始めてて
今日で仕上げるつもりだったけど
iPadの改行の仕方がカオスなので断念
自分の今の英語の先生は大学の留学生だ。
教えてもらっている場所は大きなファッションモールの一角。
教えてくれてる講師たちは修士号や博士号を取るために留学をしている人達なので
学識や一般常識が備わっている人達ばかりである。
身分がしっかりしていて、尚且つ真面目な方が多いので女性一人で教えてもらう身としては非常にありがたい。
この人たちに教えてもらえるきっかけとなったのは
前に通っていた英会話教室のお影である。
ここの英会話教室は英語教える為の人材として冒頭で述べた留学生をパートタイムで英語講師として雇い、子供や自分を含めた社会人そして御年寄にも英語を教えていた。
その教室の英会話講師として働く条件として、ネイティブレベルの英語はもちろんのことコミュニケイション力、ある程度の日本語レベルが要求される。殆どの講師が英語を第二言語として学習していた人達だ。そのお陰が英語ネイティブ圏出身の人に比べて英語がわからないところからネイティブレベルまで学習してきた人達なので、同じ非英語ネイティブの自分としては向こうの言っている言葉もわかりやすいし、向こうもこちらの言わんとしている事をわかってくれやすい。もちろんある程度の日本語を話すこともできる(時には全く喋られない人もいたが)
そして留学生なので大学院を学位を取得後は卒業をする。その後日本を離れた講師の代わりに、また次の留学生が教えにくる。というシステムのおかげでこの地方都市に住みながらでも、さまざまな国々の人々を英語を通して話す機会を得る事ができた。特に自分のライフワークである食文化についてはバングラデッシュ、ケニア、トルコ、ニュージンランドの出身の先生方から非常に有意義な情報を頂いた。改めて感謝の気持ちを伝えたい。
英語のレシピを読むふけるようになったのも、さらに食への興味が大きくなってしまったのも各々の国の郷土料理が頭に入っているのも多文化を取り入れたスパイス料理や、世界三大料理のうちの一つに挙げられる国で育ったこの人達のおかげだ。
英会話教室で英語だけではない非常に有意義な時間を過ごすことができた。
しかし、残念ながらここの英会話教室は今年の7月いっぱいをもってその営業をやめた。経営者の女性が年齢にも体力的にも続けるのが難しくなってしまったからだ。
その瞬間否応無しに新たな教室を探す準備をせねばという状況になったと思い、携帯を握り締めたのだが、その経営者女性がすかさず、「今の先生たちに引き続き教えてもらってね。」とくれたので今に至る事ができている。
英会話教室が閉まってから引き続き教えてくれているのはケニア人の男の子K君
その子にここ数か月程教えてもらっているのだが彼は夏のバカンスの為にひと月ほどケニアに換えることになった。その彼の代わりに教えてくれることになったのが同じケニア人女性Aさん。
ちなみに彼女は日本語はほとんどわからない。けど、K君曰く「ダイジョブ、ダイジョウブ」と。
何が大丈夫なんだよ。とは思ったが、実際Aさんに会ってみると全然大丈夫だった。
彼女は私より10歳程年上に見えない位肌がきれいで笑顔がまぶしく、とても明るい人。
博士号を取るために日本に留学している人で専攻は農業学。しかもノンケミカルで強い作物を育てる研究もされている方だったので、そりゃ私と話があうな、と思い。彼女と話が出来るのが楽しみで仕方が無くなった。
しかし、たのしい時間はあっという間。
気が付けば彼女がケニアへ帰国する日が私たちのレッスン日の翌日に迫っていた。
テキストを間にはさみ、料理の話や食材の事、女子同士でありがちな恋の話。彼女が夫と出会った時の話。入院中にタイプだと思った外科医とどうやったらまた会えるか。等。色々な話をした。
非常に非常に楽しい時間だった。勉強してるのに授業のほとんどを笑って過ごしていたのだから。最後になぜ彼女が農業学を専攻する事とのなったのか質問をしてみた。
「私の家は母が農業をやっていて、毎朝畑にいってその日食べる食材を選んでいたの。時には遠くにある畑にもいって獲っていたわ。私はそれを切欠に食べものに興味を持ったの。
いまはそうね、土から育つ野菜を天気や天候に左右されず効率的に育てる方法を作りたいわね。
テクノロジーを通して。Non GMOで。そして、村へ行ってそれらの育て方を教えたいの。人々が自分でもっと野菜を育てる事ができるようにね。」と。言っていた。
彼女の思いと熱意はきっと自国の飢えに苦しむ人たちを救い、より方向へと国を発展させていくのだと思う。彼女の成長を強く願う。と伝え。最後の授業を終えた。
また連絡を取りたいから。と言ってメールアドレスを教えてもらった。
授業代を払いまたね。と言おうとしたら、鞄のなからからおもむろに取り出し何かを渡してくれた。
「あなたはいつも色々なアイディアが浮かぶからこれを使ってね。そしてここに書いてある事をするのよ?わかった?」と。くれたのが写真にある付箋セット。
危うく泣きそうになった。
今回の事も通して改めて感じさせてもらたが言語や国の違いでは人と人との間には隔たりはできないと思う。お互い心を開いて敬意を忘れず大切な人して、言いたい事を話合う。という事はとても大事で尊い。
距離は1万キロm離れているけどだからどうした。きっとまたすぐ会える気がする。




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