久しぶりにこちらに書いてみた
リハビリも兼ね日記帳にボールペンでジャーナルを書いていると、こちらに書くことがトンっと減ってしまった。
なので今回は久しぶりにこちらに書くことにした。
新年早々、石川県能登半島で大地震が起き、その翌日には被災地へ物資を運ぶ飛行機とJAL旅客機が衝突し、物資運搬飛行機に乗っていた乗務員6名中5名が亡くなる痛ましい事故が起こった。そして石川では78名(現時点で判明してる)の尊い命が亡くなられたことに悲しみを隠すことができない。
そんな中でもJAL乗客員が90秒間の間に機体に火が上がっている中、乗客全員が避難脱出切るよう動き無事避難をさせた。というニュースは不測の事態(今回は特に)に備えた通常じからの訓練と務めて冷静でいた乗務員皆さんたちの使命感と勇気に尊敬の意を
そして震源地ではその日が正月で帰省した人たちが子供や高齢者の避難に一役を買い、たくさんの命を救ったことにも心が震えた。これがもし里帰り期間が集中する中でなければ高齢者の多い地域ではもっとたくさんの方々の命が犠牲になったかもしれない。
色々な要素、普段からの心がけが重なり被害を最小限に抑えることができていたのではと思う。
私たち被災地より遠くに住んでいる人々ができることは、悲しみに同調をし、思考停止になるのではなく、いつも通りの生活を続け経済を回すこと、そして長期間、無理のない範囲で寄付を行うこと、今回の地震や事故を機に己の防災意識をより強く持つこと、そして、情報が錯綜する中、確実性の高い情報源に辿り着くことだ。
確実の性の高いものであればNHK、首相官邸、気象庁。これらのニュースは即座にアクセスできるようしておいた方がいい。これらのサイトは英語、その多言語でも閲覧できるので日本語ネイティブではない人への情報通達にも役に立つはずだ。
1日の地震が起きた当時、自分ができたことはとりあえず薬とコサッシュ(保健所、お薬手帳、身分証明書、財布、携帯入)を片手にエコバックとダウンジャケットを羽織り出入り口を確保するため玄関に向かったこと。
幸いにも岡山は震度3程度で被害はほとんどなかったが、それでももし避難生活を送ることとなればその準備は全く足りてないと痛感した。午後からはリュックに防災道具一式を詰めいつでもこれ一つで移動できるよう用意をする。
避難経路、現住居、または会社やよく行く場所近隣の避難場所を普段からチェックしておくことも大事だ。
失われた命があった分、今後の避難の教訓に生かさなければと強く誓った。出ないと亡くなられた方々に顔向けができない


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