去年の今頃
何していたかっていうと
ヘロヘロでした。
6月なかばの入院、そして一時退院後、再入院予定で病院からの連絡を待つように。と病院側
から言われていましたが、その連絡は来ず、
そしてその間も症状はどどまることなく進行。
リクライニングチェアから動くことができず毎日朦朧とした意識の中、なんとか最低限の生活
を続けていました。
8月に入っても病院から連絡がこないので
入院手術予定の病院に電話をし、
電話口担当の方に7月末に再入院予定だったこと、
その連絡がまだ自分に入らない旨を伝え、
主治医と話しがしたい。というと、確認します。と保留音が流れ、その後
今日から海外出張予定で、連絡は来週以降になと思います。
と、言われました。
そうなってしまうと多分、もたない。どないしょと思っていると、
出発直前(だったような)の主治医から直接電話が。
手術の段取りがまだつかないといわれ、
「もう無理そうだから救急車呼んでいい?」と聞くと
「ちょっと待ってね」といったん電話を切り、その後すぐ緊急入院の手続きを取ってもらった
病院到着後は車いすで迎えに来てもらい、
病棟の部屋に到着すると同時に酸素カニューレと右腕のルート確保
既に一般病棟では処置管理ができない状態になっており、
その数時間後にはICU,そして体内貯留した水分を排出するため、
さらに各ルートが確保されたのちすぐに透析開始。
そして、なぜが透析の機器が何度か閉塞を起こし、
その処置で眠れぬ夜を過ごしてていました。
私の血液の問題ではなく機器自体の問題何度も警告音が鳴っていたらしい。
酸素は病棟で6ℓ入れてもらい続けていたので、なんとか体を横たえることができいたけど
かと言って眠れるわけでもなく、胸の息苦しさ、しんどさとICUのまぶしさで
(おそらく処置のためほぼ一晩中照明がついていた)眠れず、
様子を見に来てくれたICUの看護師さんと雑談をしながら時間をすごしていました。
陽が登ったころに心臓外科の先生が部屋にきて、手術の説明。
その後すぐ手術室へ
それが確か入院した翌日の8月5日だったかな。
手術室に入り麻酔の点滴やマスクをつけ、遠のく意識の中、
どうか、目を覚した時には、この苦しさから解放されていますように。と願いを込めながら
目を閉じました。
目が覚めたころには(正しくは鎮静状態からの覚醒)8月25日になっていました。
そんなことがあった去年の今頃です。


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