ふと、父親の事を思い出した。

覚えている出来事はほぼ忘れてしまってはいるがロクでもない奴。と記憶に定着されている。


子供に手をあげるのは日常茶飯事で自分が寝転がっていても子供が何か気に食わないことをするとしつけと称し平手打ちをかましたり、近所の空き地で拾った木の枝を持って着ては「言うことを聞かなければこれで尻を叩く」と脅しをかけてきたりした。自身は寝転がり足でテレビのチャンネルを変えることはあっても子供にはそれを許さなかった。

ある冬の日父親と私がこたつには言って居た時、私のパジャマのズボンの裾から父親の手が入り腿で止まりそのままあの男は寝ていた。とての気持ちが悪かった。別の日は私のパジャマの半袖の裾から手を入れそのまま寝ていた。年頃の娘にはとても気持ちが悪い出来事だった。まだ嫌なことされ抵抗の仕方を知らない子供にはひどく嫌な出来事だった。なぜこの臭い男に私の体を触られなければならなかったのかいま思い出しても怒りに震えるときがある。私が一人風呂に入っている時に脱衣所を勝手に開けることも増えた。それも気持ちが悪かった。もし両親が離婚せずに数年そのまま一緒に暮らしていればあの臭いひどく不愉快な男に何かされていたのかもしれない。と思うと。この世に存在して欲しくないくらいだった。



私の家にいた男たちは女性に怒鳴りつけることでしたその会話方法を知らなかった。感情をぶつけ己の気が落ち着くまで散々怒鳴りつけるのだ。その為には何を言っても何をしても良いと思っていたのだ。そんな環境で育ったものだからうちの兄もいまだにその反吐が出るようなコミュニケーション方法しか知らない。おかげで今はだに妻どころ科恋人もいない、


そんな大人の男しかいない環境で育ったので変な話入院時は唯一気が休まる場所だった。もちろん入院をするわけだから体に何か異常が発生しているわけで(喘息や心臓、そのた手術がひるような緊急性の高いもの)だけども何かあれば医療的に対処してくれる看護師さんや医師に囲まれている環境は居心地が良かった。家とは違う怒鳴らないこちらの体のことを心配してくれる大人の男の人がいることが救いだったのだ。






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