添え物
昨日、買い物をしていた時のこと。
年末年始の買い物で人がごった返し、平日の夕方や夜の買い出し時とはまた違う雰囲気でそれはそれでおもしろい光景が視界に入る。
平日は単体、またはパートナー同士で相談をしながら購入する食材を買い物かごに入れる、子連れで買い物をすれば、子供や子供用バックを夫婦のどちらかが抱っこや持ったりし、連携をとりながら効率的に買い物をする光景がよく目に入る。子供が泣けばどちらかが泣き止ませる作業に集中し、もう一方が買い物を続ける様をよく見かける。
私はそれを横目にこの若い夫婦と子供が生きやすい世の中になるよう頑張られば。と生きる力をもらう。
自分が結婚をしていた時代を思い出すと、男性の方も随分とアップデートをされてきたなと感心する。もちろんそうじゃないことも多々耳にするが
昨日は比較的年齢層の高い(おそらく70歳以上くらい)が妻らしき人に荷物持ち要員で駆り出されたと思われる男性が多々見掛けられた。
荷物要因とし駆り出されただけあり、高齢を思わしき男性がエコバックに詰めた食材をヒョいと軽々しく両手にもち妻と連携をとりながら、買い物をこなしていく様は微笑ましくも感じた。
おそらく自宅でもその男性自身が主体性を持ち家事をしているであろう動きがいくつか見受けられた。
比較的そういった風景が紙芝居のように繰り広げられていく中で、その中で異彩を放ったのは、ある添え物だった。
先ほどの荷物持ちヒョい男性と同じくらいの年齢と思われるのだが、私の買い物動線の行先に、荷物は小柄な妻と思しき人が持ち、ただただ、妻が買い物をかごに食品を入れている様を眺め、狭い通路で買い物をしている他の単体や団体の動線をご丁寧に塞ぎながら悠々と歩いている男性がいた。
妻と思わしき人の買い物籠の荷物が増えようとも、一向に買い物カゴを持つ気配はない
狭い通路で人とすれ違う時も体の角度を変えることなく二次元の体で進んでいく。妻の前に立っているのなら人に当たらないように気をつけているのだと思えるのだが、それは妻の後ろをゆっくりと歩いていた、
荷物を持つわけでもなく、ただただ黙って後ろをついていっているだけで、買い物が終わった後の荷物を持つわけでもなく、ただただ妻に着いてきただけのようたっだ。
動線を塞ぎ、妻の重い荷物を持つわけでもなくただただ人混みを、人が行き交う中動線を塞ぎながら歩くこの人物のことをただの添え物。のように見えた。
人の在り方なんて買い物の一瞬を見ただけでわかるわけではない。もしかしたら今は添え物に見えるこの男性も家に帰ると大掃除や自宅で生じた修繕のキーパーソンとなっているかもしれない。
昭和の時代、「女性、母や妻が全てがするもの」と刷り込まれていたものに、令和の今の時代、どれくらいの人がアップデートをくり返しながら主体性を持ち行うことができるのだろうか。私自身も母に対し、そうはなっていないか、この添え物男性を見た時、今一度振り返り機会をもらったのかもしれない。


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