まあなんだかんだで毎日寝る前に「今日もええ一日やった」とおもえることが幸せなのでは?

医療費控除の合算を出すために昨年度の医療費領収書を整理していた最中に、先週の心臓血管外科外来の時に主治医にもらったエコー診断結果の紙も一緒に挟んであり、やっとじっくりとみた。

病院アプリでエコーの動画は見る事ができても診断結果はそういえばみれなかったよな。いまのうちにちゃんとみとこ。思い見てみると、SAS(subvalvuler aoritic stenosis) resection(86')は前回とほぼ同等の結果。問題のMitral valveはregurgitationがmoderete→moderate-severe に進んでいた。MVRした生体弁のstenosis も進んでいるし、ここ数ヶ月のしんどさを思うとまあ納得の数値ではある。BNPも前回の170チョイから278と進んでいる。グラフで見ると200以上は「専門医の経過観察要」となってるけど、もうすでに主治医に3ヶ月毎のフォローはしてもらってるから、まあ大丈夫か。

何より、臨床現場の先生がまだ大丈夫。といってくれているのは心強い。手術となった場合にその前にやりたい事を話をするとストップはかけず応援をしてくれる。


そして家の近所には大学病院の心臓血管外科にいた先生がやってる循環器クリニックもあるし。医療施設が整っている場所住めている安心感は大きい


何がどれだけしんどくてどれだけの支障が生じているかなんて一人一人の生活仕様によりちがうわけで。そのことも考慮しながら患者一人一人に対し考え言葉を正直につたえてくれる主治医や他の先生たちの存在は大変ありがたい。


今後は一人暮らし正社員。身の回りの事はすべて自身で行ている「今の」心臓で「どれだけ」の事ができ、「どのように」「私」がしんどく思うのか。これを言語化し聞く相手見る相手に伝わるように記録する事が求められる。

どうすれば伝わりやすいのだろうか。



昨日、所用で区役所へ行ったときに入口から用事のある窓口へいく20mほどの距離がゆっくり(どれくらいの歩行速度なのか数値化したほうがわかりやすいよな。)歩くとすでに息があがり心拍は100を超える。一休をいれ呼吸を整えてから番号札を取りに行く。

数カ月前に来た時よりも断然動きが悪い。

役所にきてる人、働いている人達が皆すこぶる元気にうごきまわれているようにすら見える

この時自分の病状の進行を知ってしまい軽めにショックを受ける。が、まあんなことよりもとっとと手続きを終え職場に戻ろう。雑務は放っておいても増えて来るし減る事はないのだから



色々考え疲れた一日でもあったけれでも自宅に戻り友人達ともオンライン上でやり取りをしながら自宅での生活し、ベッドの枕元の角度を10度上げ、布団にモグリ、イサムノグチのAkariの柔らかい光の中、手書きの日記を書きながら天井を見上げると、今日一日の事を思い出すと、なんだかんだでええ一日やったな。と思えてしまう自分は実はものすごく幸せな生き方のをしているのではないかとふと思った









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