5分間の再会、そしてお別れ

 友達が昨日の朝旅だった。

脳内出血による開頭手術後の経過観察中だった。

先週の土曜日に妹から「友達が入院してて、退院したらその子の彼女と一緒に美味しい減塩食ならいに行かせてもらうかも。」と連絡が入っていた。

もちろん二つ返事でOK。お店で美味しいごはんをたくさん食べさせてくれた子でもある。私ができる事があるならできる限りのことはしたい。まずは病棟の管理栄養士のアドバイスを聞いてもらっておくことを伝え、私はダイエットと予防につながる作りやすい食事のレシピを作ろうとしていた。


日曜に妹と会った時は友達と術後で画面越しで面会ができていたらしく、術後の管がついてる中で発語があったと聞いていた。体を繋いでいる管が外れ、タイミングを見計らいこれリハビリ始め、退院まで時間がかかるかもしれないけど元気に戻ってくると信じていた。


でもそれは叶わなかった。

自分が人に見送られる側だと思っている。いつ自分が旅立ってもいいように全身麻酔管理下の手術を受ける前、そして誕生日には遺言書を更新し、私の死後の手続きは税理士にその手続きを手伝ってもらえるよう、そして何か入った場合間に入ってもらえようにしている。先に旅立つのは準備万端な私で充分だ





先程友達との別れを終え、今この日記を書いている。どんなこと書けばいいのかまだ混乱しているけど自分の頭の中身を出すことも気持ちの整理につながるのでそのためにも書いているし、友達の思い出を一つでも多く思い出すために頭に刺激を与えている状態だ。



タクシーで斎場へ向かった。道が思ったよりも全然空いていて予定の時間よりも20分も早くついてしまったけど玄関前の張り紙の案内に従って奥へ行くとほとんどの人たちが揃っていた。地元の人たちの顔を見るのも随分と久しぶりな気がする。そうえいば手術前の1月に1度帰って以来地元には行っていない。

皆先に友達との挨拶を終えていた。私も友達が寝ている場所へ行き顔を見る。昼寝をしているみたいに安らかな顔だった。仕込みが終わった後の休憩時間の仮眠中のようだった。


地元に戻っても珈琲屋やスーパー食材を買をしてる姿を見る事はもう無い。存在を感じることがあっても実体があり声を聞き会話をし、動いてる姿を見ることは自分が生きてる限りはもう2度とない。人の命が尽きるということはそう言うことなのだ



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